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 マインドフル・コーチ

 

 

 

 福島 規久夫

 

 

 Kikuo Fukushima

 

 

 

 

 

 ずっと人の可能性について考え続けてきました。あなたの内側にある無限の可能性を解き放ち、オン・パーパス(On Purpose = 目的に沿った)な人生を歩むために、マインドフル・コーチングがあなたとともにあります。

 

 

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あなたの内なる気付きを

あなたとともに

Profile

福島規久夫ってどんな人?

マインドフル・コーチ福島規久夫のオフィシャル・ホームページへようこそ

 

 

ご訪問ありがとうございます。

こちらのページでは、私の歩みをご紹介させていただきます。

1963年

 

 

 

 

 

 

 

 

1979年

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1982年

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1986年

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2004年

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京都生まれ。3人兄弟の末っ子。
小さなころから身体を動かすことが大好きでした。幼稚園のころから運動会の前の日は興奮して眠れなかったことを今でも覚えています。
 
小学校に入ってからは野球に明け暮れる毎日。今まで出来なかったことが出来るようになるといった成長実感や、チームが一つの目標に向かって突き進んでいくということが楽しかった事を覚えています。中学を卒業するころまで「きっとプロ野球選手になれる!」なんて純粋に信じていました。
 
 
高校時代
 
早稲田実業学校高等部へ入学後はもちろん野球部に入部しましたが、「井の中の蛙大海を知らず」の意味を実感。高1のころは右足首骨折や盲腸による入院などもあり、高2の夏の甲子園で準優勝したときもアルプススタンドから応援をしていました。
 
甲子園後の秋の大会からベンチ入りを果たしたものの肩の故障でボールが思うように投げられなくなり、それ以来サポートサイドに回る。それでも野球は楽しかった。野球をしていることが面白いと感じていた。野球から学んだことは、感謝、貢献、努力、チーム。高3の時も春夏甲子園に行け、最後の夏の試合で負けた時はチームメンバーと涙が枯れるまで泣きました。(この時涙って本当に枯れるんだってことを知りました。)負けて悔しいからだけではなく、最後の最後までやり切れた充足感からくる(青春の^^)涙でした。
大学時代
 
高校時代は野球しかしていなかったけれど、何とかそのまま大学にエスカレーター進学できるだろうと気楽に思っていたら、高3の11月頃担任の先生との面談で推薦漏れを知り、慌てて受験勉強を開始。2か月間の勉強でなんとか青山学院大学国際政治経済学部に滑り込みセーフ。
 
大学で野球は続けられなかったので、何としても体育会のクラブには入りたいと思い初心者でもOKそうな体育会ゴルフ部に入部。ずっとゴルフ漬けの生活で4年生には主将になりました。
 
試合の前には一人車の中で心を整えるために静かな時間を過ごしたことを覚えています。今にして思えば瞑想につながることをこのころからしていたのでしょう。
 
 
社会人時代
 
大学でもあまり熱心に勉強する学生ではありませんでしたが、ゼミでは異文化間コミュニケーションを専攻。途上国に貢献できる仕事をしたいと考え専門商社に入社。海外で営業をしたかったが配属先は人事部で、研修・採用等を担当。当時はなぜ自分がと思っていたが今の仕事を考えると、点と点がつながった気がします。
 
1987年 ティモシー・ガルウェイの「インナー・ゴルフ」に出会い、こうやって人の成長やスキルの習得を促すことができるのかと強く感銘を受けたことを今でも覚えています。これが僕のコーチングの原点です。
 
 
入社2年目に社内制度の制定に取り組み、若手社員の海外派遣を目的にした海外トレーニー制度を立案し、承認され、その第1号として自らネパール(カトマンズ)に赴任。水のない村に水を、電気のない村に電気を供給するようなプロジェクトに取り組みました。誰かのために貢献したい、役に立ちたい、喜ぶ顔が見たい、そんなことをずっと考えながらネパールでは仕事をしていました。
バブル真っ盛りの東京からすべてが「ビスタレ・ビスタレ(ゆっくりゆっくり)」のネパールに赴任した直後は仕事のペースに戸惑い、このペースに慣れてしまったら東京に戻ってからどうなるのかと焦った気持ちもありました。駐在中に100年に一度と言われるような大地震に遭遇したり、1日のうち12時間以上が停電という日が数日続いたりと、生活面では大変なことも多々ありましたが、オン・パーパスな生き方ができとても充実した駐在体験でした。
1991年 欧州系銀行に転職し、国際資金為替部門でその後13年間を主に為替金利商品のディーリングに没入する。国際政治・経済の最先端で一瞬一瞬に神経を研ぎ澄ませながらチャレンジする仕事にやりがいを感じていました。
しかし2001年の米同時多発テロを機に自分が何のために働いているのか、何を大切にして働いていきたいのかに大きな疑問が湧き上がり、そうした疑問や葛藤を抱えたまま不規則な生活、睡眠不足を繰り返すうちに身体がバランスを失い髄膜炎を患い3週間の入院生活を送ることになる。
入院期間中に退職を決意。実際に退職するまでには会社の都合等もありそれから1年後になるが、自分の残りの人生をかける仕事としてコーチを選択し、2004年に独立することを選択しました。
独立後

2004年にサクセス・コーチング・スタジオを開設。
コーチ活動を開始するに当たりまずは、株式会社コーチエーのCTPでコーチングを体系的に学習し始めました。CTPでは、2006年からクラスコーチとしてコーチ養成に携わりました。コーチとしてこれまでに300名以上のクライアントさんと3000時間超のセッションをさせていただきました。コーチングとともに、選択理論心理学、ポジティブ心理学を学び、人間の行動原理の理解を深め続けてきました。
 
コーチとしての活動とともにトレーニングのファシリテーターとしても活動開始。外資系企業、国内大手企業、行政機関等で多数の経験を積む(現在まで述べ10000名超)。ファシリテーター開始時に外資系トレーニングベンダーから徹底的に鍛えられたことが現在の基盤となっており感謝しています。
トレーニングの内容は、コーチング、リーダーシップ、OJT、AIをベースにした組織開発など。
 
 
瞑想との出会いは、コーチングを始めてすぐのころに当時のマイコーチに鎌倉の建長寺での座禅会に連れて行ってもらったことから始まりました。その後も天外伺朗さんの書籍などを参考に時折瞑想をしていました。

ポジティブ心理学を学ぶうちにマインドフルネスの概念を知り、そこに非常に興味を持ち、瞑想を再度取り組み始める。10日間毎日1日10時間以上座るといった瞑想合宿に参加するなどしたことで、現在では毎日30分から1時間程度の瞑想を日常化するようになりました。

そして、マインドフルネスという概念をコーチングに融合させた「マインドフル・コーチング」を2013年から展開しています。


国際コーチング連盟マスター認定コーチ (ICF MCC)
​国際コーチング連盟PCCアセッサー (ICF PCC Assessor)

選択理論心理学集中基礎講座修了
The School of Positive Psychology ポジティブ心理学コーチング課程修了
 
 

高校野球部

大学ゴルフ部

学生時代

ネパール駐在

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お読みいただきありがとうございました。

 

 

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